良かれと思って教えたことが、逆に息子を迷わせていたことがありました。
あるとき、プレーについて僕が話していると、
「でも、コーチはこう言ってたよ」
と息子に言われたんです。
「ん?」
と思いました。
よく聞いてみると、僕とコーチが言っていることは、ほとんど同じ。
なのに、息子の中では別の話になっていました。
「これ、親が別の言葉を足さない方がいいんじゃないのかな?」
そう思ってから、サッカーを教えるより、
「コーチが言ってたのは、何の話だったの?」
と聞くようになりました。
親とコーチが“同じこと”を伝えているのに、子どもが混乱してしまう理由。
このことに気づいてから、息子の話の聞き方も、僕の関わり方も少しずつ変わっていきました。
親とコーチが同じことを言っても、子どもには同じに聞こえていない
このとき僕が一番引っかかったのは、僕とコーチの言っていることが、ほとんど同じだったことです。
言葉は違っていても、最終的には同じところへ向かっている話でした。
でも、息子の中では別の話になっていた。
そこで気づいたんです。
大人なら「結局、同じことを言っているよね」と分かることでも、低学年の子どもには、それを同じ意味として結びつけるのが難しいことがある。
言葉が違えば、
「パパやママはこう言った」
「コーチはこう言った」
と、別々の話として受け取ってしまいます。
そこでさらに親が、
「いや、コーチが言っているのはそういう意味じゃなくて・・・」
と説明を重ねていけばいくほど、子どもの中にどんどん言葉が増えていきます。
そうなると、どれが基準か分からなくなってしまうんです。
「コーチはこう言ってたよ」で気づいたこと
この経験があってから、僕は自分からサッカーの正解を足すよりも、まずコーチが何を伝えていたのかを確認するようになりました。
練習中にコーチが子どもたちを集めて、何か大事そうな話をしていることがあります。
そんな日は、帰りながら、
「コーチが言ってたのは、何の話だったの?」
と聞いていました。
ただ、それだけです。
ここで、
「ちゃんと分かった?」
「じゃあ次はどうするの?」
と、テストのように質問していたわけではありません。
息子が、
「こういうこと言ってた」
「こうしろって言ってた」
と話すのを、
「へー」
「なるほどねー」
と聞いていました。
それだけでも、ちゃんと話を聞いていたのか、どのくらい理解しているのかは、なんとなく分かります。
親とコーチの言葉がかみ合わないと、子どもが迷う
少年サッカーでは、親から見れば、
「もっと早くパスを出した方がいい」
「そこはドリブルじゃない」
「もっと広がった方がいい」
と思う場面もあります。
ピッチの外から大人が見れば、いろいろなことが見えます。
でも、そこで家庭でも細かくプレーを修正していくと、コーチの話と親の話が少しずつズレていくことがあります。
しかも難しいのは、どちらも間違っていない場合があることです。
同じことを別の言葉で言っているだけかもしれない。
少し違う角度から説明しているだけかもしれない。
大人ならそれを整理できます。
でも低学年の子どもにとっては、
「コーチはこう言った」
「パパやママはこう言った」
という2つの正解になってしまうことがあります。
親が違う正解を伝え続ければ、
子どもが「コーチにも親にも怒られないためのプレー」を考えてしまう可能性もあります。
僕は、それは絶対に避けたかったんです。
「へー」「なるほどねー」と聞いているだけで、理解しているかが見えてきた
子どもにコーチの話を聞くとき、僕が一番大切にしていたのは、まず最後まで話してもらうことでした。
息子が説明しているうちに、
「ああ、ちゃんと分かってるな」
と思うこともあります。
逆に、
「ここはあまり分かってなさそうだな」
と感じるところもあります。
そんなときだけ、
「それ、どういうこと?」
と聞いていました。
すると、もう一度自分の頭の中で考えて説明しようとします。
それでも、
「よく分からん」
という感じなら、僕が意味を想像できるときは、
「たぶん、こういうことかもね~」
と少し補うこともありました。
でも、その場ですべて理解できなくても別にいいと思っていました。
次の練習でも同じような話が出るかもしれません。
実際にプレーしてみて、あとから分かることもあります。
一度聞いただけで、すべて理解しなければいけないとは、考えていませんでした。
コーチの話が「分からない」ときはどうすればいい?
もちろん、子どもだけではなく、僕にもコーチの言っている意味がよく分からないことはありました。
そんなときに、無理やり親なりの答えを作ることはしませんでした。
「パパも分かんないや~」
で終わりです。
それでいいと思っていました。
僕にも分からないなら、次の練習でまたコーチに教えてもらえばいい。
実際にプレーしていくうちに、子ども自身が分かるかもしれない。
親がその場ですべて解決する必要はありません。
むしろ、分からないのに、
「たぶん、コーチが言いたいのはこういうことだよ」
と親が決めつけてしまう方が、子どもを余計に迷わせる可能性があるんです。
家庭では、コーチが言っていることを否定しなかった
もう一つ、うちで意識していたことがあります。
家庭でコーチの話を否定しないことです。
僕自身、
「それ、本当にそうなのかな?」
と思うことがまったくなかったわけではありません。
でも、息子の前で、
「そのコーチの言ってること違うんじゃない?」
「パパはそう思わないけどね」
ということは、言わないようにしていました。
それは、子どもがコーチに不信感を持ってしまうことを、避けたかったからです。
練習ではコーチの話を聞く。
そのあと親から、
「でも、それ違うと思うよ」
と言われる。
それが続けば、子どもは誰の話を信じればいいのか分からなくなってしまいます。
もしかしたら、
「コーチの言うことは聞かなくてもいい」
という感覚につながってしまうかもしれません・・・
もちろん、コーチの言うことがすべて正しいという意味ではないです。
ただ、少なくとも僕は、子どもの前でコーチの指導を否定することはしないと決めていました。
そのおかげで、息子はグラウンドではコーチの話をそのまま受け止めやすかったと思います。
親とコーチの間で迷わずに済んだことは、成長するうえで、とても大きかったと感じています。
分からなければ、
「パパも分かんないや~」
でいい。
あとはコーチに任せる。
そのくらいの距離感でいいと思っていました。
まとめ|親は子どもの理解を整理する相手
少年サッカーでは、親も子どものために何かしてあげたくなります。
サッカーを知っていれば、教えたくなる。
知らなければ、
「何も教えられなくて大丈夫かな」
と心配になる。
でも、親がコーチと同じ役割をする必要はありません。
うちでは、
「コーチは、何て言ってたの?」
と聞いて、
「へー」
「なるほどねー」
と答える。
よく分からなそうなところだけ、
「それって、どういうことなんだろう?」
と聞いてあげる。
僕にも分からない話なら、
「パパも分からないや~」
で終わる。
そして、コーチの話を家庭で否定しない。
そんな関わり方をしていました。
親が別の正解を増やすのではなく、子どもが教わったことを自分の言葉でもう一度話せる場所になる。
それくらいが、一番いい距離感だと思っています。
サッカーを学ぶ中心は、コーチとピッチの中にある。
家庭では、その学びを邪魔せず、必要なときに少しだけ整理する。
僕にとっては、それが「コーチの代わりにならない」ということでした。

